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キハ181「やくも」の頃(1)

山陽本線岡山から伯備線を経由し山陰本線に出て岡山−出雲市・益田を結んでいた陽陰連絡特急が「やくも」。伯備線山陰本線(伯耆大山−出雲市間)電化に伴い1982年6月に381系電車されるまで、500PSエンジンを持つキハ181を使用したディーゼル特急として活躍しました。早々に電化されたことからもわかるよう、伯備線は陽陰連絡の要と位置付けられていたようで、ディーゼル特急時代からL特急とされていた「やくも」がほぼ一時間ヘッドで運転されていたと記憶しています。かつてはD51三重連が行われた伯備線は中国山地を横断するため勾配区間もあり、このためディーゼル特急時代の「やくも」には強力エンジンをもったキハ181が使用されていたものと思われます(ごく初期はキハ82時代もあり?)。

編成は、10輌を超えるものも数多くあり、また全列車グリーン車はもちろん食堂車も連結されていました。その存在の重要性、500ps性能の発揮度合い、本数の多さ、編成の充実度、長大さ、どれをとっても「やくも」こそ「つばさ」「しなの」をも凌いでキハ181特急の代表格と言ってしまっても良いのではないでしょうか。

DD51と並ぶキハ181。出雲市の駅もきっと今は変わっているのでしょうね。
キハ181は自分の中でかなりお気に入りの車輛であったこともあり、また前述の通り1982年6月で電車化され「やくも」から撤退すると聞きつけて1981年夏と1982年の春(○学校卒業式の次の日からの一人たびぃ〜)の2回乗りに行ってます。何れも岡山−出雲市間。出雲市到着後は駅に居座って「やくも」を中心にいろいろ撮っていました。夏も春も一人で勝手きままに行っていたので、駅から外にほとんど出てません…出雲大社にすら行ってません…。当時は名所旧跡、観光より「駅」で「車輛」を見ていることの方がはるかに重要でしたので。まだロケハンするほど行動力はなかったころなので、駅での写真ばかりですが、当時の出雲市の駅の情景とともに懐かしんでいただければ。

もう最後だからと思い奮発して乗ったグリーン車、キロ180。キハ181系のうち中間車のキハ180とキロ180には放熱のためのラジエターが屋根に並びます。これこそ500PSの象徴でした。キハ82とは異なりドアが折り戸になっているところもカッコよかった。

エンジン付きの動力車は全て500PSエンジンとなり編成の出力に余裕があったため食堂車は無動力となりキサシ180でした。エンジンが付いてないので当然ラジエターもつきません。編成のアクセントになってました。80系気動車も当初は食堂車は無動力のキサシ80でしたが、編成の出力に余裕が無く後にエンジン付きキシになりました。因みにもちろんこれで最後になるのでキサシの中で食事もしました。味は当時の日本○堂、押して知るべしですが、キサシの中で食べられたので今では良い思い出です。と思っていたら今やいつのまにか列車の中で食事をすること自体が貴重な経験になってしまっています。

キハ82のイメージを継承しながら、力強さとモダンさを表現しきった先頭部のスタイル。傑作だと思いませんか?角張ったヘッドライトカバー、分割されたスカート、そしてテールとタイフォンを一体化したところなど本当に上手く処理されています。いつ見てもカッコイイと思います。

推進で入線する上り「やくも」。留置線に見える20系は大阪行き「だいせん」のものです。

ディーゼル特急とDD51。山陰の雄ですね。


夜の出雲市で並ぶキハ58とキハ181「やくも」。優等列車としてのキハ58/28「急行」の存在は、キハ82・キハ181をひきたてていました。「急行」あっての「特別急行」。

82年3月、既に訓練運転が始まっていた115系電車をどんな心持で眺めていたのでしょうか?

岡山に向けて出雲市を後にする上り「やくも」

山陰では「やくも」の他、小郡から山口線を経由して山陰入りする「おき」もキハ181使用特急でした。こちらはモノクラスの6輌…だったかな?もっとも長距離な「おき」は出雲市まで顔をだしていました。

出雲市でしばしの休憩に入る「おき」用キハ181

一般客車と並ぶキハ181「おき」。山陰では当たり前だった、一般客車も今は昔ですね。

昼間、一度も顔を出さなかった381系電車が夜の出雲市に顔を出しました。115系とともに既に訓練運転が始まっていたようです。この1982年から伯備線の主となた381系は、キハ181時代より長い期間君臨し続けることになります。

DML30HSC(E)水平12気筒30Lターボチャージャー付き500PSディーゼルエンジンを一輛につき1台づつ備えたキハ181系は「やくも」としてそのエンジン出力を必要とされた伯備線でその性能・設備を十分に発揮し、他形式では成し得ない責をまっとうしました。伯備線電化後、「やくも」一系統用のキハ181は山陰の他全ての特急を十分に賄いきれる輌数を放出しました。このことからも181系「やくも」の重要性が伺い知れると思います。381系に追われたキハ181は今度は逆にキハ82を駆逐する立場となってしまいます。ただ、キハ181自体、キハ82でも運用可能だった仕業はその性能に対し役不足で、また食堂車キサシ180は「やくも」を最後に用途を失っています。やはり、陽陰連絡の要としてグリーン車・食堂車を含めた10両前後の編成で伯備線の勾配をひっきりなしに行き来した「やくも」時代が、キハ181が輝いてた最後の姿でしょう。

ついでにスキャンした一緒に撮った当時の出雲市の写真はまた後日


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